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12月から私の生活も変わりました。
仕事、家事、趣味の音楽、と欲張ってギリギリのところで時間をやりくりしていたところに
実家に通うという、たった週1のことが加わっただけで、バランスが崩れたように思います。
家族はほとんど協力してくれませんから。。。。

先日、いろいろ相談できる友達が1人いる、と書きました。
それは一緒にバンドをやっていたメンバーで、ご主人のご両親を数年間に渡って介護していました。
一緒に住んではいないかったものの、同じマンションの上下階に住んでいたので、病院の送り迎え、
入院してからの毎日の病院通いをしながら、バンド活動を続けていました。
お義母さんはガンで亡くなり、その1年後にガンと認知症を患ったお義父さんも亡くなりました。
お義父さんがもういつ危険な状況になってもおかしくない、という時期にライブ直前で、ハード
スケジュールの中ライブを無事に終えて、その数日後にお義父さんは亡くなりました。

両親のこと誰にも相談せずにいたのですが、この友達ならわかってくれるかも、と思い、
相談しました。
今まで誰にも言えなかったことすべて吐き出せたし、とても親身になって話を聞いてくれました。
ありがたかった。。。。
私の方の立場からすると、この友達は義理の両親の世話をしていたわけだから、私の義姉の立場に
なるわけです。
その立場での本音も聞くことができました。
ご主人には弟がいるそうですが、仙台に住んでいてほとんど見舞いにもこなかったそうです。
それに対してはかなり不満を持っていたようで、なんで自分だけがこんなに大変な思いをしなければ
ならないんだ!と怒っていたようです。
わかります。。。
だから、義姉を助けたいし、できる限りのことはしたいと思います。

そんな友人から、

どんなに大変な時でもバンドを降りることはしたくなかった、大変でも
続けたことは良かった、だから音楽を続けて、、、

というようなことを言われました。

実際、クラシックギターサークルの月2回の練習と、月に3~4回のバンドリハは負担です。
兄や義姉に対しても、仕事を理由に忙しいからと言うことはできても、ギターがとかバンドがとか
が忙しいとは言いにくいですし、言っていません。
だって、義姉は今自分の趣味のことなどできていないと思います。
毎日母から目を離すことなく、母の妄想やワガママにつきあってくれているのですから。

辞めてしまったら楽かな。。と思うことがあります。
その分時間ができますし。

前にブログ上で書いたかもしれませんが、私は1人で音楽をやることが苦手です。
バンドや合奏をやっているのはソロギターに魅力を感じないからです。
(ソロギターを聴くのは好きです。)
1人でギターを弾く事が楽しくてそれでストレス解消できるなら、こんな状況の中、バンドや
アンサンブルを続けなくても済むかもしれません。

辞めてしまおうかな、辞めなくてもしばらくお休みしようかな、、、と悩みました。
でも、友達が「音楽を続けて」と言ってくれたことが支えになっています。
実際、サークルの練習に行く前はちょっとめんどうだったりします。(家事もたまってるし)
でも、練習に参加して音のハーモニーを感じると楽しいんですよね。
あー、やっぱり辞められないや、と思うのです。
人間関係も含めて。

なので、出来る限り続けて行きたいと思います。
音楽ってほんとに救われます。
ストレス解消になります。

辞めるのはいつでも辞められますものね。
どうしようもなくなったらその時に考えます。

2011.04.21 ストレス
今日は愚痴モードです。

私が最近ストレスに感じている事に、私の両親の病気に対する家族の「無関心」があります。
娘たちはたま~に「おじいちゃんどう?」とか聞いてくれますが、夫は全く聞いてきません。

最初に父が倒れたと連絡が来た時、その翌日に私は仕事を休んで見舞いに行きました。
その日、夫は帰ってきても何も尋ねてきませんでした。
それから間もなく母の認知症がわかりましたが、そのことに関しても同じような反応です。

父が入院したのが12月中旬でしたが、いつまでたっても見舞いに行こうとしないので、
私は兄たちの手前義理が立たないなぁ。。と思ってました。
結局見舞いに行ったのは3月の連休の時です。

私が実家に行ったり病院に見舞いに行っていることを知っていても様子を尋ねてくることは
ありません。
私の方から話してもTVの画面を見ていたりして、ちゃんと聞いてるのかなあ。。という感じ
で、それがとてもストレスになるので、もう最近は話さなくなりました。

別に私たち仲が悪いわけではないんですよ。
他のことではよく話すし、一緒にお酒も飲むし。
でも私の実家のことにはなんか触れたがらない、という感じがするのです。
男の人ってそんなもんなのでしょうか??
仕事が忙しくて面倒なことに関わりたくない、とか思っているのかなぁ?

なんにしろ、身近にいる人が話しを聞いてくれないのは辛いです。
でも、1人いろいろ相談している友達がいるので助かっています。
その話はまた後ほど。。

このブログでも毎年取り上げてきたGW恒例の音楽祭

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」

今年は開催が危ぶまれていましたが、開催することに決定。
チケットも発売しました。

毎年このイベントのチケット入手は困難なのですが、すんなりと取れて楽しみにしていました。

ところが。。。

先週の金曜日に、有料公演のチケットはすべて払い戻し、とHP上で発表されました。
相次ぐ余震で施設の電気系統に不具合があることがわかったことと、原発事故の影響で
出演アーティストたちの来日キャンセルが重なり、予定通りのプログラムを実施することが
困難となったことが要因のようです。
イベント自体が中止になったわけではないようで、「内容を変更して開催する」とのこと。

チケットぴあのHPを見ると、数え切れないくらいの公演が中止になっています。
払い戻しの処置も半端なく大変でしょうね・・・・

2011.04.09 老い
昨年の12月に実家の父が脳梗塞で倒れました。
それから4ヶ月ほど経ちますが、まだ入院しています。
左半身にマヒがあり、口から食物を取る事ができません。
入院当初は、リハビリとかで普通の生活ができるようになるかなあ、と思っていた
のですが、リハビリもあまり進んでいません。

同年代の友達の間でもこの歳になると「介護」という言葉をよく聞くようになりました。
なぜか両親とも元気だったのであまり心配していませんでした。

でも、まさか急にこんなことになるとは。。。。

この父の入院をきっかけに、母の病気が発見されました。
昨年の夏くらいから、なんとなくおかしい、と思うことはあったのですが、
「ボケたんじゃないの~」と冗談を言っているくらいで済ませていたんです。
でも、父が倒れた後急速に症状が進行し、検査をしたところ、

アルツハイマー型の認知症

であることがわかりました。
検査したところでは、2年ほど前から脳の萎縮が始まっていたということです。

父が救急車で運ばれたことも覚えていませんし、たまに父が入院していることも
忘れて「今日お父さんは仕事だっけ?」と言ったりします。
(仕事は何年も前に引退してます)

実家は二世帯住宅で、兄の家族と両親は1階と2階で別々に生活していました。
玄関も別々なので、月に1度くらい一緒に食事をするくらいで、わりとクールな
関係だったようです。
でも、父の入院で母が1人になり認知症で目が離せないので、今は1階で寝泊りし、
食事も一緒にしています。
兄も義姉も手を焼いているようです。
特にお義姉さんは疲れきっています。
私も毎週通っています。
父のお見舞いとか、母の様子を見にいくとかいうことより、
「お義姉さんを解放するため」に行っている感じです。
実家はさいたまで往復4時間かかるので、ほんの4,5時間くらいしか代わることは
できないけど、お義姉さんにとってはそれだけでも解放されるのは助かるようです。
毎日毎日母の面倒を見てくれることに本当に感謝します。。。。

このことは、家族以外にはほとんど話していません。
職場の人も実家の事情は知りません。
なので、今新学期を迎えて忙しい中休みをもらうのも苦労してます。

このブログでも触れてきませんでした。
(というか更新してませんでしたが・・・・)

でも、先日ある方に話しを聞いてもらい、少し気が楽になったので、ブログでも
書いてみようかな。。と思ったのです。
自分だけで悩んでいてもよくないな、と思いました。

このことについては、一度では書ききれないので、また後日続きを書きます。
2011.03.30 原発
110330_0116~01

もう大分昔のことですが、高校時代なぜか私は「原発」「放射能」とかいうことに興味があり、
この辺りの本を読み漁っていました。
といっても軽めの岩波新書とかブルーバックスが多かったです。

ほとんどの本は実家に置いてきたか処分したと思うのですが、本棚を見てみたら何冊か
ありました。
すでに絶版になっている、岩波新書「原子力発電」「放射線と人間」「プルトニウムの恐怖」。
今回の原発の騒動で思い出して久しぶりに読み返してみました。
ところどころに赤鉛筆でラインが引いてあったりします。
なにやってたんだろ私?

そういえば、大学受験の時に1校だけ医療系の放射線学科を受験しました。
放射線技師の国家試験の受験資格が得られる大学です。
あまり親にも相談せずに受験したのですが、合格したものの母親に進学は反対されました。
やはり危険な仕事、というイメージがあったのだと思います。
当時は3年制の短大で(今は4年制)、遊ぶ間もないくらい勉強が大変とか言われていたので、
結局普通に大学生活が送りたいと思って、原子核物理とか素粒子物理とかを学びたいと思い、
物理学科に進みました。
それでやりたいことができたかというと、そうでもなかったのですが。。。。
半期だけだったと思いますが、放射線実験という授業を取っていました。
赤と黄色の危険マークが描かれた厚い扉の中にある実験室で、実際に危ないものを扱ったり
していたように思います。
実験室に入る時は、白衣のポケットに放射線の計数管をつけて、実験中にどのくらい被爆したか
を毎回必ず報告していました。
計数管が壊れていてとんでもない数値が出て真っ青になってた友達がいたり。。。

もう数十年も前のことでこれらのことはただの思い出ですが、今目の前で起こっている原発事故は
とても深刻なものだと思います。
報道で触れていない「これから起こる危険なこと」は可能性としては山ほどあると思います。
それを防ぐために必死にがんばっている現場の方々だってかなりやばい状況にあると思います。
原子力が人間によって利用されるということ(最初は軍事目的だったかもしれないけど)、
これを発見してしまったことが人間に大きな不幸をもたらすことだったのかもしれません。

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